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「少年の名はジルベール」

またも24年組の記事です。多分また熱いです笑。ウザい方はスルーで。

 

泣きました。この本読んで。久々にわんわんと声を出して。堪らない本当に。

 

刊行されたのは一昨年ですが、たまたま去年見つけて読みました。

 

私はご存じの通り萩尾望都のファンなので、竹宮恵子が書いた漫画ではなく本にはそれほど興味はなかったのですが、そこは便利な密林レビューですよ。すると大泉サロンの全貌が明らかになっていると書かれていたので、これは読みたい!とポチッと。

 

もうね…ヤバイ。涙腺崩壊。何だろうこの感情は。

 

大泉サロンという名とは裏腹に、実際には古いボロボロのアパートの、たった四畳半のコタツ部屋。ここから壮大な夢が広がったんですね〜

 

そしてあの頃はどんな時代で、少女漫画界の裏で、どんなことが起こっていたか、その一部始終が部屋の絵付きで赤裸々に明かされています。

 

日本の漫画史において歴史的史実を残すという意味でも大きな役割の一冊。

 

まずね、私、すごく誤解してた部分があって、私が思い描く竹宮恵子の印象が「萩尾望都に嫉妬してる野心家の少女漫画家」だったのが、この本を読んで180度ひっくり返りました。

 

そう、読んでみてわかったのは「実は竹宮恵子が萩尾望都の才能を一番理解していた」ということ。

 

また、その才能を彼女自身 理解すればするほど、自分を苛んでいくスランプという地獄の様な苦しみを抱えてゆきます。その苦しみは自律神経失調症にまで発病。当時、その病名はまだなく、竹宮恵子は悪夢にうなされながらも、あの狭い大泉サロンで日々漫画を描き続けました。その壮絶さは筆舌に尽くし難いほどです。

 

実際、大泉サロンは2年足らずで崩壊。竹宮恵子自身がその終了ボタンを押します。

 

萩尾望都はちょうどその頃、ポーの一族「メリーベルと銀のバラ」を執筆中。一緒に住みながらも萩尾望都は竹宮恵子のその苦悩さえ全く知らず、どんどん名作を発表してゆきます。山岸涼子、一条ゆかり、坂田靖子、ささやななえ、花郁悠紀子、波津彬子、佐藤史生…と、色んな大物少女漫画家の名前が飛び出します。

 

ただ、この大泉サロンの発起人は当時、萩尾望都の友人だった東京在住の増山のりえ氏。竹宮恵子著「変奏曲」原作者、また「風と木の詩」の続編小説「神の小羊」(全3巻)の著者でもありますが、実際は竹宮恵子の初期作品、特に「ファラオの墓」と「風と木の歌」の共同原作者でもあり、今で言うところの竹宮恵子のブレーンでありプロデューサーであった最重要人物です。

 

(余談ですが、以前私が「ポーの一族」の二次創作をしたいけど、ご本人はどう思うのか聞いてみた人物は この方です。その時の話はこちら

 

その彼女が「少女漫画界で革命を起こす」という壮大な青写真を描き、自宅の斜め前にあった2階建てのボロアパートに竹宮恵子と萩尾望都を呼び、それが後に「大泉サロン」と呼ばれる場所になります。つまり増山氏がいなければ24年組も大泉サロンも存在しなかったということ。

 

(竹宮恵子は大泉サロンにいる頃、この増山氏に相談しないと漫画が描けなくなっていたこと、また、作品のクレジットに増山氏の名前を入れるよう何度も提案をしますが、当時の少女漫画界において、原作者付きは一段格下で見られる為、増山氏自身が断固として拒否したことが、この本には書かれています。

 

増山氏は竹宮恵子のことを「無欲の人」と言ってますが、のちに何百万部も売上げた漫画のクレジットに入らないという増山氏も同じく「無欲の人」と言えると思います。だからこそのムーブメントですね)

 

竹宮恵子はある日ふと浮かんだ「風と木の詩」の構想を、電話で8時間に渡り延々と この増山のりえに語ったというエピソードは有名な話。(大泉サロンで萩尾望都と住む前です)

 

更にこの本には、当時の少女漫画界では絶対的にタブーだった男性同性愛の物語「風の木の詩」を描く為にはどうしたらいいかを7年間考え続け、あらゆる出版社、編集者にこの「風と木の詩」の構想を描いたクロッキーノートを見せて回ったこと。最終的には、新しい男性担当者が「アンケートで1位が取れたら、それがどんな作品でも僕が連載させます!」と確約し、その1位を取るための作品として「ファラオの墓」を連載開始したことが詳細に綴られています。

 

つまり少なくとも「ファラオの墓」「風と木の詩」の2作品は(クレジットはなくとも)竹宮恵子と増山のりえとの二人三脚で、それも全て口述による二人の打ち合わせにより生まれた作品であることも、この本には書かれています。

 

また、当時の少女漫画は担当者が全て成人男性のため、読者である少女の求めるものを理解出来るはずもなく、よって内容の打ち合わせなどは殆どなく、ただページ数やテーマのみで原稿を依頼されたことなどの当時の内情等も。変な介在がなく作家の個性がダイレクトに読者に届いた時代だったのかもしれませんね。

 

だから普及の名作がポンポン生まれたのかも。

 

(そ〜いえば、トーマの心臓を描く際に、男性担当者が萩尾望都の元にベルばらを持参して「こういう大河ロマンものをかきましょう!」と意気込んで語ったというエピソードも笑。)

 

ファラオの墓、ベルばら、エースのねらえ、ポーの一族、トーマの心臓等の名作は、1〜2年から数年の連載で書かれており、少女漫画も当時は週刊連載が主流だった最もスピードのある時代。だからこそ生まれた「時代の奇跡」だったのではないかと思えるのです。

 

(余談ですが…実は読んでて、この竹宮恵子と増山のりえとのやりとりが、何だか今の私と相棒とのやりとりにちょっと似てるなと。普通なら このやり取りは編集者と漫画家が繰り広げるものですが、ただ、出版社側の思惑の入る隙がない身内内の口述での打ち合わせですし、お互いの視点が全く違うので、口論しながら新しい第三の視点が生まれることもしばしば。もちろん、彼女達がそうだったかどうかはわかりませんけどね。

 

彼女のライフワークになる作品「風と木の詩」のためにあらゆる手段を講じるあたりの、二人の壮絶な努力と演出やそのやりとりが、今の私達の作品「僕の楽園」と少し重なって…

 

そう言えば以前 相棒が「劫って、ちょっとジルベールに似てるよね」と言った言葉が私の脳裏に浮かびました。)

 

実際には上位アンケートを取ることを竹宮恵子が初めて意識した「ファラオの墓」の連載が、彼女に心から漫画を描く喜びと楽しみを教えてくれた最初の作品となり、そこから彼女はスランプを自力で脱してゆきます。その力強さたるや…

 

そこからの彼女の大活躍ぶりは周知の通りですね。

 

↑その後、京都精華大学マンガ学部に招かれ、教師として教鞭を取っていた竹宮恵子が、もしかすると参考書として書いたのではないかな?と思われる一冊。(あくまで憶測ですけどね)

 

本作はアナログでの漫画の描き方が中心に書かれていますが、それ以外にも大泉サロンのことやシナリオの事など色々載ってますが、やっぱりこの人、凄い!よくよく読むと創作の極意がサラリと随所に書かれています。

 

紫綬褒章取っただけのことはありますね。なんというか「見えてる」。そう、見えてる。この人には。他の人には見えない何かが。だから漫画だけじゃなく、小説を創作する人にもオススメの一冊です。

 

↑言わずと知れた竹宮恵子代表作「風と木の詩」の後日談の小説「神の小羊」(全3巻)。のりす・はーぜは増山のりえ氏のペンネームです。絶版で特に最後の3巻がずっと入手出来ずでしたが、今回、竹宮恵子画業50周年を記念して復刊ドットコムから3冊復刊されます。気になる方は今しか入手出来ませんので是非。

 

今回この2冊の本に触れ、なんかとてつもないパワーを頂いたような気持ちです。それはあの大泉サロンに集った、まだ無名の少女漫画家たちの若い躍動感あふれる時代のエネルギーの一端に触れることが出来たのかもしれません。ご興味のある方は是非。

 

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